データサチュレーションとは?
働き先の病院で苦手な同僚を見つけ、オドオドしているなすこんにゃくです。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今日はデータサチュレーション(Data saturation)についてのお話をさっくりとシェアしたいと思います。
最近、質的研究でデータサチュレーションが満たされた(It reached the data saturation or The data saturation was satisfied)と、書かれていることが多いのですが、何の意味なのでしょうか?
データサチュレーションが満たされたというのは、
もう新たな結果(例:テーマTheme)が導き出されなかったので、新たに研究対象者をリクルートせずに分析を終了する方向に持っていくこと
を意味します。
量的研究では、結果の信頼性を高めるために、目標の対象者数(被験者数)をあらかじめ決め、実際に研究に参加してくださった対象者数が十分であったのかどうか、数式を用いて判断します。
質的研究では、各研究方法論によって目標対象者数を提示している文献もありますが、量的研究に比べ随分と目標数が低くなるので、「この対象者数で十分なの?」と思う研究者も少なくない様です。私もその一人でした。
データサチュレーションと言うのは、対象者のリクルートメント・データ収集・分析を同時に行い、「もうこれ以上、新たな結果が導き出されないなあ」と思う所で、リクルートメントとデータ収集を終えます。
そして最終分析を進めていきます。
これが最近の質的研究のトレンドになっているようで、よく目にします。
しかーし!!
全ての質的研究がデータサチュレーションを満たされること必要とはしていません。
それぞれの質的研究方法論の目的によってデータサチュレーションが必要であるかどうかを判断します。
特に、解釈学的現象学はデータサチュレーションを必要としません。
これは、Van Manen という学者が気持ちいいほどはっきり言いきっています。
解釈学的現象学というのは、個人のライフヒストリーを深~く掘り下げて、その人の存在を体験として表す研究方法です。
研究結果としてテーマ(Theme)を導きますが、あくまでも、一つ一つのテーマを読むことで、その人の体験(存在)を読み手に分かるようにすることがこの研究の目的です。
よく、質的研究でテーマ(Theme)を導くと言うと、トランスクリプト(インタビューで録音したデータを書面に表したもの)に特定のワードをハイライトしてコード化していく傾向にありますが、解釈学的現象学は全く異なります。
と、まあ、今回査読者の方に「データサチュレーションはとったのか?」と聞かれたので、引用文献を載せて返答したのですが、どうなることやら・・・。
でも、これは現象学を専門とする教授にもデータサチュレーションについて言われていたので、間違ってはいないのですが、納得できるように説明できたか心配ですね。
無事に採択されますように☆
それでは!