看研かあさん

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現象学の体験は経験ではない

ストレスのせいか、頭皮が荒れております、なすこんにゃくです。

皆様いかがおすごしでしょうか?

 

今日は質的研究の現象学について少し、お話ししたいと思います。

 

近年の論文で見かける現象学

最近、「○○の体験」というタイトルがついた質的研究を多く見かけます。

けれども、そのほとんどが経験を示しているのではないかという論文が多い気がします。

なすこんにゃくは、質的研究の女王と呼ばれる教授の授業を受けていたのですが、彼女も現象学がポピュラーになってきているが、理論が正確に理解されていないものが多いと苦言を呈していました。

実際に、「解釈学的現象学の理論を基に・・」と書かれてはあるが、どの思想家の現象学を基にしているのか記されておらずタイトルに「○○の体験」と書かれているのにもかかわらず、研究方法論には解釈学的現象学とは記載していない国内・国外文献が多いです。

けれども、査読が入って採択されているんですよね(汗)

こういった質的研究の真実性を測る基準が世界で統一されていないことが、量的研究より下に見られているような空気を作り出している気がしてなりません。

 

現象学で有名な哲学者

現象学というのは、英語ではPhenomenologyといいますが、その起源をたどるとドイツとフランスの哲学者が説いています。

なすこんにゃくは、ドイツの哲学者が説く現象学を学んでいました。

現象学で1番初めに出てくる哲学者はフッサールではないでしょうか?彼は元々数学者で、人の存在を客観的に現わそう(抽出しようと)した方です。

 

フッサールから学んでいたハイデッガーは人の存在を客観的に抽出するのは難しいということで、解釈学的現象学を説いています。この方の考えは現在まで人々に強い影響力を与えています。

 

ハイデッガーの解釈学的現象学を得て、ガダマーの解釈学的現象学・・と続いていきます。

 

体験は経験ではない

ここまで来てお気づきの方もいるかとは思いますが、現象学を説く思想家は「体験」について話しているのではありません。

 

人の「存在」について人々にわかりやすく説明しようとしていたのです。

 

その当時のドイツでは、ヒトラーが指導権を握り、第二次世界大戦へとむかっていました。貧困に苦しんでいた人々は「自分はなぜこの世に存在しているのか」「なぜこのような世界に生きていなければならないのか」などと自問自答しながら1日1日を過ごし、その答えが得られるであろう一つの考え方(思想)がハイデガーの解釈学的現象学であったと考えられます。そのため、彼の思想が人々に強い影響力を与え、現代まで語り継がれてきたのではないか・・と考えます。

 

ハイデッガーは人の存在を客観的に抽出するのは不可能であると説いています。

他者の存在を見出していてもそれは個人の解釈が含まれてしまい、「この人の存在は○○だ」とは言えないし、その人の存在の全て導くことも不可能。そのため、その人の存在の1部または断片的なものを体験と称し、第3者が理解できるようにすることが解釈学的現象学を研究方法論に使用した場合の目的です。

 

体験は英語で「experience」と書きますが、研究論文のタイトルや目的に「The experience of ...」だけでは本来の体験という意味ではなく、経験に近い意味になってしまいます。

解釈学的現象学を用いた研究の場合、「being」=「存在」「existance」を示す用語も付け加え、「The experience of being....」というようにタイトルや研究目的(Research Question)に書かなければならないんです。そうしないと、その研究論文の一貫性が見えてこないんです。。本当は。。

 

解釈学的現象学を説く哲学者は現代までにたくさんいる

解釈学的現象学を説くドイツの思想家はハイデッガーから始まりますが、現代までいろんな方々が解釈学的現象学に関する本を出版しています。

 

ハイデッガーは解釈学的現象学を研究の枠組みとしてどう使うのかを説いているわけではないため、実際にどのように研究するのかで迷いが出てしまいます。

そのため、ベナーなどの現代の解釈学的現象学に関する本を読んでいく必要があるのですが、その方たちが説いている現象学的思想の基を理解しておく必要があります。

 

その方たちが説いている(解釈学的)現象学がハイデッガーやフッサールの思想を基にしたものなのか、それとも全く新しいものなのか、を明確に研究方法論に記載しなければ研究の真実性が高まりません。

 

存在を明らかにしようとしているのか、経験を明らかにしようとしているのか・・・システマティックレビューなどでいつも疑問に感じながら文献を読んでいるのですが、結局あいまいな文献が多く、それでもそれらの文献をレビュー対象にしなければならない今日この頃です。

 

引用文献

 

Heidegger M. (1962). Being and time (Macquarrie J., Robinson E., Trans.). Harper Perennial & Modern Thought.

Van Manen M. (1995). Researching lived experience: Human science for action sensitive pedagogy. SUNY Press.